Long November

主に国内外でのエンタメ関係の覚書、聖地巡礼その他(予定)。2020年、突然タイBL沼に頭から落ちました

ステップファミリー当事者が「ディア・エヴァン・ハンセン」を観たら色々な意味で抉られた話

死ぬほど寝かせてしまったので、今さら公開するか!?とめちゃくちゃ悩んだ。悩んだけど、あの初見時の感想を残しておきたくもあったので……


見終わった直後の感想としては「もう一度見たい」と「もう二度と見たくない」という感情がせめぎ合っていた。

私は個人的に「陰キャ」「陽キャ」というカテゴライズがあまり好きではないので、「すべての陰キャに刺さる映画」みたいな雑な説明はしたくないな、とは思う。ただ、孤独を感じることもなく、これといった問題もない順調で幸せな人生を送っている人がこの作品を観たら一体どんな感想を抱くのだろうという興味はある。

この作品は「孤独」をテーマに描かれているんだろうけれど、私は作中に出てくる家族とあまりにも家庭環境が似ていたため、正直他人事と思えず「家族もの」としての側面が強く印象に残った気がします。
私の家庭はシングルマザーから、連れ子がいる同士で再婚してステップファミリーになった家なので。

楽曲の中でも特に「Requiem」というコナーの家族の歌が、前半で一番印象に残っている。
妹のゾーイの「ひどいこともされたし傷付けられたのに、死んだからって悲しめない。『いい人だったね』『あなたが死んで悲しい』なんて言えない。私のこの思いが間違ってるなんて決めつけないで。暴君が死んだ王国の民は追悼なんてしない。だってあなたは私にとってはモンスターだった」という歌詞が私には結構衝撃的だったというか、抉られた感じがして。
その感情は世間や他人が決めるものでは決してなく、本人だけのものなんですよ。

私はまだ「そういう家族」を亡くしたことはないけれど、もし自分の養父が亡くなったら恐らく私はゾーイと同じような感情を抱く。

前半で私が最初に泣いたのが「For Forever」で、エヴァンとコナーが親友だったという虚構の中で木から落ちたエヴァンのもとにコナーが来て手を差し伸べるシーンだった。誰も助けに来てくれなかった、手を差し伸べてくれた親友もいなかったというのが現実だったからこそ、あのシーンは観ていて本当に切なかった。

エヴァンとコナーの家族は、あの時は確かにお互いにすがりたかったのではないだろうか。
お互い目の前に「こうだったらよかったのに」と思ってしまうものを差し出されたら、それにすがりつきたくもなると思う。

ところで、あのコナーの家のお父さんいい人過ぎんか…。ちゃんと父性があるというか、父親になる覚悟がある人だったんだね。そういう人にステップファーザーになって欲しいものです。
ゾーイがお母さんに小言言われながら無言でお父さんに向かってピースして、お父さんも無言でピースし返すみたいなシーンがあったと思うんだけど、あそこ何かめっちゃ好きだった。

どうでもいいけど、ゾーイが確かお父さんのことを名前で呼んでて、うちとも同じだし、学生時代のカナダ人の友達もステップマザーを名前で呼んでると言ってたので、結構あるあるだよねと思った。
日本人にこれを話すと「お父さんとか呼ばないの!?」と驚かれることが多いけど、海外で同じ話をしても「そうなんだー」くらいの反応だったので、お国柄なのかもしれない。

私が後半、というか恐らく全編通して一番泣いたのが、最後の方でエヴァンの話(自分が自殺未遂するほど壊れてると知られたくなかったという)を聞いたエヴァンのお母さんの「I already know you, and I love you.」という言葉と「So big/So small」のとこでした。なんかもう、あれは泣くだろ……
人が覚悟を決めた瞬間、みたいなシーンがめちゃくちゃ好きだという話をここ数ヶ月よくしている気がする。「イン・ザ・ハイツ」とかでも同じようなことを言ってた。
「どんなあなたでも愛してる」というのは、子供が一番親から欲しい言葉なのかもしれない。でもそれを本心から言える親はとても少ないんじゃないだろうか。親も人間なので。

そして、SNS社会の怖さというか残酷さ。
ドラマの「MIU404」でも「誰でも皆、人を裁きたいものなんだ」という台詞が出てきた。現代のSNSを見ていると、本当にその通りなんだと思う。


他にも書こうと思ったらまだまだ書きたいことが出てくる気がするけど、切りがないのでこのくらいにしておきます。
配信開始して見直したら追記とかするかもしれない。